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2007年10月14日 (日)

[01]Everything becomes a reality.

 十年前にテレビで流れていた殺虫剤のCMのメロディーに叩き起こされたのは、深夜二時を廻った頃だった。
 むーむーむーちょでぶーんがどきゅん♪
 むーむーむーちょであぶらむしむしぃ♪
 繰り返される間抜けな音は、麻雀卓の上で踊る携帯から漏れていた。
 その携帯の持ち主は、もちろん僕だ。
 目覚めと共に気力減退を加速させるとは、凄まじきメロディー。なんと言う着信音だろうか。破壊力抜群である。
 こんな着信音を設定したのは、一体誰だ! 誰だ出てこい!
 むーむーむーちょでぶーんがどきゅん♪
 むーむーむーちょであぶらむしむしぃ♪
 あ? クソッ! 僕か!? 僕だったか!
 正直、設定した事すら忘れていた。危ない、もう少しで、また他人のせいにするところだった。
 着信音を設定したのも、ついでに、この曲の高音質版をネットでわざわざ捜索したのも僕だ。うーん、失敗失敗。僕ってお茶目さん。
 そうだね。何故、この曲を選択したと聞かれたら、一元さんはお断りだからとしか言いようがないのである。
 関係者以外から電話など、怪しくて関わっていられないじゃないか。そんな輩からの電話などに真っ当な着信音など贅沢すぎるのだ。
 携帯のディスプレイをみると、そこにあるのは謎の番号の羅列。そもそも一元さん用の着信音だから当然だ。
 それにしてもこんな時間に、鬱陶しいな。一体誰だろう。
 間抜けな曲にイラつきながら、局番を確認する。それは市内番号だった。気になったので確認キーを押して、番号の権利者を検索した。
 ―S中央病院―
 床にごろんと寝転がって結果を確認する。
 この時間に病院から電話って何だよ……こわっ。これはないわ。正直関わりたくないなぁ。
 ふなむしだってすってんきゅう♪
 だにだにさんたらめろめろちゅう♪
 相変わらず、無意味に高音質の着信音は継続中である。
 僕は、このメロディに誘発され、まったりとCMの映像を思い出していた。
 ああ――、丁度このメロディーの場面で、バニーのお姉さんと食い倒れ人形みたいなおっさんが一緒に踊っていた気がする。なんか、懐かしいなぁ。
 わんちゃんあんしんぺろぺろちゅう♪
「ちゅう♪」ポチッ
 僕は、ちゅう――に合いの手を入れつつ思わず通話ボタンを押していた。
 やばい。今の瞬間、意外とノリノリだったよ僕。しかも、通話しちゃってるし……。
 どうせ押すなら、電源ボタンにすれば良いのに、何やってるんだ馬鹿。間抜けすぎる……。
 仕方ないので、無言のまま携帯に耳を当てた。切るのはそれからでも遅くは無いだろ。
「夜分遅くに失礼します。そちら平実潮さんの携帯でしょうか?」
 でも、耳に飛び込んだのは、心地よい女性の声。僕は、反射的に応対してしまっていた。スケベ心八十パーセントですが。それが何か?
「はい、そうですけど。何か御用ですか?」
「私、県立中央病院の主任看護師、渡辺と申します。平実さん、不躾で申し訳ありませんが……直江三二美さんをご存知でしょうか?」
 突然の思いもよらない名前に、僕は言葉を失っていた。
 直江三二美……。三二美? 三二美ねえさんか――?
 それは、一族の中で疎まれ、口にするのを憚られる名前。そして、僕が当時唯一なついた不思議な人。憧れだった人。
 僕が小学校高学年になりたての頃だから、九年ほど前か。ねえさんは、突然失踪した。当時、理工系の大学院に通っていたねえさんの年は、二十二歳ぐらいだったと思う。
 その時、実家の一族が騒然としていたのを覚えている。ねえさんの失踪に嘆き悲しむというより、一族から失踪者が出た事が問題となっていたのだろう。
 名家である平実家での不祥事は、忌避される。場合によっては何らかの措置をとらなければならない。そういった体裁を何よりと考える伝統がこの一族にはあった。
 特に当時は、本家から大臣を輩出していた時期だったから、些細な問題でも過敏に反応したのだと思う。
 一族会議の末、ねえさんは平沼家から分家筋の一端の直江家へ養子にされ戸籍を変更する事で、現実からも一族からも抹消されてしまった。
 正直僕にとって、戸籍の改ざんなどどうでも良かったし、当時は、難しい事情など理解すらしてなかった。ただ、ねえさんの喪失に、僕はかなり参った。僕の中でねえさんは特別だったんだ。
 それから一年が経過し二年が経ち、僕の中でも、ねえさんは死んだ人となった……。
 そうして、ねえさんが失踪してから五年後。
 正常な忘却作用のおかげで僕の中からもねえさんは薄れていた。僕だけが忘れた訳じゃない。誰もがそうだった。
 だが、その年の夏の暑い日、ねえさんは発見された。失踪した当時のままの服装と姿で。警察の調査も空しく、この五年間ねえさんの身に何が起こったのか結局わからなかった。ねえさんはもう、その時には心を壊していたからだ。
 それでも喜び勇んでお見舞いにいった僕は、やはり大きく後悔する事になった。
 心の病を負ったとは聞いてはいた。僕にとってねえさんが特別なように、自分はねえさんにとっても特別なのだと幻想を抱いていた僕は、自分にだけは昔のように、微笑みかけてくれると信じて疑わなかった。
 しかし、ねえさんは、以前と別人のように荒み、僕に対しても冷たい目を向けては不気味に笑い、時には理不尽に罵倒した。
 その日以来、ねえさんとは会っていない。僕は、優しかったその面影を壊したくなかったのかもしれない。親族のうわさで、その後、分家の屋敷で療養中だったと聞いていただけだった。
「もしもし、どうかしました?」
 ふと響く看護師の声。僕は、記憶の欠片をいったん閉じた。
「ああ、すみません。直江三二美は親類です」
「ああ、良かった。どちらに引き取ってもらえば良いか分からなかったんですよ」
「引き取る? それって何かあったんですか」
 少しの沈黙。暑苦しい部屋の電気音がやたらとはっきり聞こえた。
「ええ……。申し訳にくいのですが、直江三二美さんは、昨晩、他界されました」
「……他界?」
 ――タカイ。え? ああ、死んだのか。ねえさん死んじゃったのか……。
「ずっと入院されてたんですが、連絡先の中で繋がったのが、平実さんだけだったので」
 ねえさんが、俺の携帯番号を知っていた?
 どうやって知ったのかは分からない。少しの嬉しさと共に大きな空虚さが込みあがる。
 なんだよ。こんな事になる前に、掛けてくれればよかったのにさ……。
 声の優しい看護婦に、二三日中に病院に向かうと告げ、その日は電話を切った。
 その後、僕は、しばらく経っても携帯を手放せないでいた。ねえさんは、僕にとっては特別な意味を持つのだ。
 ため息をついた。それが、どんなため息なのか自分でも良く分からない。そして、何となく携帯を操作し、一元さん用の着信音、あのCMソングを鳴らす。
 むーむーむーちょでぶーんがどきゅん♪
 むーむーむーちょであぶらむしむしぃ♪
 ふと脳裏によみがえった記憶。CMのバニーさんと食い倒れ人形を真似て、ねえさんと踊る小さな僕がそこにいた。
 ああ、そうだ。僕は、当時あのCMが好きだった。だから実家で、ねえさんと一緒に良く真似して歌ったんだった。それで、何だか懐かしいかったのか。
 音量を最大にし、そのまま剥き出しの畳の上に寝転がる。
 ふなむしだってすってんきゅう♪
 だにだにさんたらめろめろちゅう♪
「ちゅう♪」
 壁を叩く隣人の抗議を無視して、ループするそれを聞きながら寝タバコにふけった。

                              

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